前編では、大学入学後に始まった不調から、長い治療期間を経て、少しずつ生活が動き始めるまでを紹介しました。
一日のほとんどをベッドで過ごしていた生活から、園芸や料理を始め、やがて「働きたい」という気持ちを持つようになったはっちさん。
しかし、仕事へ戻ることにも大きな怖さがありました。
そしてその後、結婚、入院、再就職など、人生は再び大きく動いていきます。
後編では、その後の人生と、現在のはっちさんが「働くこと」についてどう感じているのかを紹介します。
▶ 前編を読む|8年間、働けない自分を責め続けた――長い治療の中で、生活が動き始めるまで
仕事に戻るだけでも怖かった
生活が動き始めても、はっちさんにとって、仕事へ戻ることは簡単ではありませんでした。
「一番困ったのは、不安感やパニック症状がとても強かったことです」
それまで抗うつ薬とあわせて抗不安薬も処方されていましたが、新しい治療を受け始めた頃に、抗不安薬の服用をやめていたといいます。
ただし、
「それが関係していたのかどうかは分かりません」
とはっちさん自身も話しています。
当時は、強い不安やパニック障害のような症状を感じていたそうです。
そのため、いきなり長期間働くことは選びませんでした。
まず始めたのは、一日だけの工場の仕事です。
面接の日。
はっちさんは、開始時間より何十分も早く会場へ着きました。
緊張で汗が出て、トイレで汗を拭きながら気持ちを落ち着かせ、ようやく面接へ向かったといいます。
面接会場のある階へ向かうエレベーターも怖かったそうです。
閉ざされた空間に入ることに強い不安を感じながら、それでも乗りました。
工場で働き始めてからも、怖さはありました。
ホコリを飛ばすために入るクリーンルームが怖い。
一度職場へ入ったら夕方まで外へ出られないような感覚も怖い。
それでも、一つずつ経験していきました。
その後、派遣で大学事務の仕事に就きます。
人と話すことにも強い緊張があり、電話では、緊張のあまりうまく話せないこともありました。
一方で、職場では初日から周囲の人に温かく接してもらえたといいます。
人間関係にも恵まれ、その仕事は結婚するまで約3年間続きました。
人生は再び大きく変わった
結婚して2年ほど経った頃。
はっちさんは子どもを望むようになりました。
その中で、
「薬をやめたい」
という気持ちが強くなり、自己判断で服薬を中止しました。
その後、幻聴や妄想が現れるようになります。
当時の夫は家を出ていきました。
最終的には警察に保護され、閉鎖病棟へ入院。
そこで、統合失調症と診断されました。
ここで重要なのは、
「薬をやめたから統合失調症になった」
と結論づけることではありません。
自己判断で服薬を中止した後に症状が現れ、入院を経て診断を受けたというのが、はっちさんが経験した時系列です。
本記事では、服薬中止とその後の診断との医学的な因果関係については断定しません。
閉鎖病棟で「私は働きたい」と相談した
当時を振り返って、はっちさんはこう話します。
「今振り返ると、自分でもよく人生をあきらめなかったなと思います」
入院中、女性のソーシャルワーカーに相談しました。
「私はここを出たら働きたいです。どうしたらいいですか?」
退院してから約2か月後。
はっちさんは、すでに就労支援に通い始めていました。
その後、統合失調症であることを職場側に伝えたうえで、アパレル関係の事務職に就きます。
その仕事は約3年間続きました。
その後、現在のパートナーと出会い、一緒に生活するようになります。
入院を経験したあとも、はっちさんの人生はそこで止まったわけではありませんでした。
なぜか「3年」を超えることが難しかった
アパレル関係の仕事を辞めたあと、はっちさんは就労継続支援A型の事業所でも働きました。
振り返ると、
大学事務が約3年。
アパレル関係の事務も約3年。
A型事業所も約3年。
はっちさん自身、
「なぜか仕事は3年くらいになると続けることが難しくなる」
と感じていたそうです。
現在は、パートナーの支えもあり、働かない生活を選んでいます。
「淡々と薬を飲む。それさえできていれば毎日がほんとうに楽しい」
現在、はっちさんは月に一度通院しています。
毎日、処方された薬を飲んでいます。
本人によれば、現在はうつによる憂鬱感やパニック症状は感じていないそうです。
一方で、統合失調症については治療を続けています。
ただ、それは今のはっちさんにとって、
「病気中心の生活」
という感覚ではありません。
「淡々と月に一度病院へ行き、淡々と毎日の薬を忘れずに飲む」
そして、
「それさえできていれば、毎日がほんとうに楽しいんです」
と話します。
子どもの頃に好きだった刺繍が、今の楽しみになった
長い間、はっちさんには、
「これといった趣味がない」
という悩みもあったそうです。
あるとき、子どもの頃、クラブ活動で少し刺繍をしていたことを思い出しました。
「もう一度やってみようかな」
と道具を買ったことが、現在のハンドメイドにつながっています。
「刺繍をしている時間は、私にとって癒しです」
針を動かしている間は、余計なことをほとんど考えない。
その時間が自分の精神状態にも良いように感じているといいます。
旅行も好きです。
普段は節約しながら、ときどき旅行へ行くことを楽しみにしています。
そして今では、統合失調症であることや、過去にうつやパニック障害を経験したことについても、
「一つの財産」
と感じることがあるそうです。
同じように悩んでいる誰かに、自分の経験が少し役立つかもしれない。
そう思えるようになったからです。
病気は自分の人生のすべてではありません。
はっちさんは今、
「病気も、自分をつくっている一つの個性くらいの位置づけです」
と話します。
「みんなが前線で戦わなくてもいい」
最後に、
今も働けない自分を責めていたり、
周囲から取り残されているように感じていたり、
「この先もずっと変わらないのではないか」
と不安になっている人へ伝えたいことを聞きました。
はっちさんは、
「10年後の自分がどうなっているかは、誰にも想像できないと思います」
と話します。
今働けていない。
周りの人が持っているものを、自分は持っていない。
そんなとき、
「これがずっと続くのではないか」
と思ってしまうことがあります。
けれど未来には、今の自分からは想像できない出来事が起こることもある。
はっちさん自身、うつで苦しんでいた頃、新聞で「10年かかってうつ病から回復した人」の記事を読んだことがありました。
「10年」という時間は、とても長く感じました。
それでも、その記事を読んで泣いたそうです。
「治った人がいるんだ」
と知ることができたのが、ただ嬉しかったからです。
そして、当時のはっちさんを支えたもう一つの言葉があります。
父親から言われた言葉です。
「軍隊には前線で戦う部隊だけではなく、後方支援をする部隊も必要なんだ。みんなが前線で戦わなくてもいい」
働けなかった当時、はっちさんにも、少しだけ家事ができる日はありました。
そのとき、
「私は今、後方支援をしているんだ」
と思うようになったそうです。
もちろん、家事さえできない日もあります。
はっちさん自身も、
「何もできない時期があってもいい」
と考えています。
仕事をしてお金を稼ぐことだけが、人の役割ではない。
家族の中でも、社会の中でも、それぞれがその時できることをする。
全員が同じ場所で、同じように前線で戦わなくてもいい。
そして、今苦しんでいる人に向かって、
「大丈夫」
「きっと良くなる」
と簡単に言うこともしたくないといいます。
未来がどうなるかは、誰にも分からないからです。
それでも、はっちさんはこう伝えてくれました。
「今働けていないことや、今の自分だけを見て、自分の人生の結末まで決めないでほしいです。」
編集部より
処方されている薬を自己判断で中止・変更すると、症状の悪化などにつながる可能性があります。妊娠・妊活を含め、服薬について疑問や不安がある場合は、自己判断で中止せず、主治医や薬剤師などの医療専門職へご相談ください。
本記事で紹介している服薬中止後の症状や診断については、はっちさん個人の経験を時系列で紹介したものであり、医学的な因果関係を示すものではありません。


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