大学入学後に突然始まった不調。
就職活動では、どうしても朝起きられず、面接に遅刻したこともありました。
働けない時期には、一日のほとんどをベッドで過ごし、いつも寝ていた場所だけマットレスが凹んでいったといいます。
今回、「逃げキャリ体験談 No.001」としてお話を聞かせてくださったのは、はっちさん(仮名)です。
長い期間、働けない自分を責め、同年代から取り残されていくような焦りを感じながら過ごしたはっちさん。
今回は多くのお話を聞かせていただいたため、前編・後編の2回に分けてお届けします。
前編では、大学時代に不調が始まってから、約8年間改善を感じられない時期を経て、少しずつ生活が動き始めるまでを紹介します。
これは「病気を克服した成功者」の物語ではありません。
一人の人が、長い時間の中で何を感じ、どのような出来事を経験してきたのか。
できるだけ本人の言葉を大切にしながらお伝えします。
大学入学後、突然始まった不調
はっちさんに不調が現れ始めたのは、大学へ入学して数か月が経った頃でした。
食事がとれなくなり、強い憂鬱感や希死念慮に悩まされるようになったといいます。
当時のはっちさんには、公認会計士になりたいという目標がありました。
大学へ通いながら、資格取得のための予備校にも通っていました。
しかし、まず大学へ通えなくなり、その後、予備校にも行けなくなっていきました。
当時はスマートフォンもなく、自宅にもインターネット環境がなかったそうです。
うつ病などについて知る機会もほとんどなく、
「自分に何が起きているのか分からなかった」
と振り返ります。
自分の状態が分からないまま、強い憂鬱感と一人で向き合っていました。
生活費の問題もありました。
仕送りは少なく、奨学金もまだ受け取れていなかったため、生活費を得るために夜の仕事を始めました。
その頃から、生活は昼夜逆転していったといいます。
大学へ入り、将来へ向かって進み始めるはずだった時期。
はっちさんの生活は、それまで想像していたものとは大きく変わっていきました。
同年代だけが先へ進んでいくように見えた
大学4年になると、はっちさんも就職活動を始めました。
今でも覚えている出来事があります。
ある新聞社の面接の日。
どうしても朝起きることができませんでした。
それでもなんとか会場へ向かったものの、到着したときには面接時間を過ぎていました。
そこで、
「面接に遅刻してくるような人は雇えないので、書類選考から受け直してください」
という趣旨のことを伝えられたといいます。
はっちさんは、
「それも当然だよな」
と思いました。
その一方で、
「どうしても頑張ることのできなかった自分が嫌で嫌でしょうがありませんでした」
とも振り返ります。
その後、フルタイムで働くことを諦め、
「アルバイトでもいいから働こう」
と考えました。
しかし、憂鬱感や感情の不安定さがあり、仕事を長く続けることは簡単ではありませんでした。
短期間働いて辞め、その後また長く働かない。
そんな時期を繰り返したといいます。
本屋で働いていたときには、自分がうつであることが職場内に広まったこともありました。
店長から電話で体調を確認されたことを覚えているそうです。
はっきり「辞めてほしい」と言われたかどうかは、今では記憶が定かではありません。
ただ、はっちさん自身は、
「辞めてほしいと思われているのではないか」
と感じ、
「じゃあ、いいです。辞めます」
と伝えて、その仕事を辞めました。
当時は、うつに対する偏見の強さも感じていたといいます。
周囲では、同年代の人たちが就職していきます。
友人の中には結婚する人も出てきました。
そんな姿を見るたびに、
「自分だけが取り残されている」
という感覚が強くなっていきました。
マットレスの同じ場所だけが凹んでいった
働いていない時期、はっちさんは一日のほとんどをベッドで過ごしていました。
そんな中でも、音楽は聴くことができたそうです。
外出するのは、音楽CDを借りに行くときくらい。
ずっと同じ場所で横になっていたため、マットレスのその部分だけが凹んでしまいました。
はっちさんは、当時もっともつらかったことについて、
「何もできない自分を責め続けること」
そして、
「働くことができず、同年代の人たちからどんどん取り残されていくように感じる焦り」
だったと振り返ります。
働いていない。
周りと同じように進めていない。
その事実以上に、自分自身を責め続けることが大きな苦しさになっていました。
8年間、治療を続けても改善を感じられなかった
大学卒業後、はっちさんは実家へ戻りました。
その後、近所の心療内科へ通院するようになります。
抗うつ薬を中心とした治療を受けていました。
診察では体調が良くないことを伝え、そのたびに薬の種類や量が増えていったという記憶があるそうです。
しかし、はっちさん自身は、長い間、改善を実感することができませんでした。
その状態が、約8年間続きました。
ここで大切なのは、
「心療内科だったから改善しなかった」
という話ではありません。
あくまで、はっちさんの場合は、その当時受けていた治療で本人が改善を感じられない状態が長く続いていた、という経験です。
「私も一度、そこで診てもらいたい」
そんな生活の中で、一つの転機が訪れます。
家族が別の医療機関を受診したことをきっかけに、はっちさんは別の病院を知りました。
その家族が治療を受け、以前より状態が良くなっていく様子を身近で見たことで、
「私も一度、そこで診てもらいたい」
と思うようになったといいます。
それまではっちさんは、心療内科と精神科の違いについても、あまりよく知らなかったそうです。
ただ、
「何年も治療を続けているけれど、私は良くなっている実感がない」
という思いがありました。
新しい病院へ行く不安より、
「今の状態を何とか変えたい」
という気持ちのほうが強かったといいます。
はっちさんは、現在振り返って、長い間治療を続けても改善を感じられない場合には、今の主治医に相談したり、別の医師の意見を聞いたりすることも選択肢の一つではないか、と話しています。
ただし、
「病院や治療を変えれば、誰でも同じように良くなるという意味ではありません」
とも強調しています。
これは、あくまではっちさん自身の経験です。
「目の前の世界がぱあっと明るくなった」
新しい医療機関を受診した際、医師から、それまでとは異なる治療を試してみるかどうかを尋ねられました。
はっちさんは、
「今の生活を変えられるなら、何でもしてみたい」
という思いで、その提案を受け入れました。
すると本人の感覚として、比較的短い期間の中で大きな変化があったといいます。
「目の前の世界がぱあっと明るくなったように感じました」
それまでは、一日のほとんどをベッドで過ごしていました。
しかし、
「できるだけ日の光を浴びよう」
と思うようになり、園芸を始めました。
やがて、庭は花でいっぱいになっていきました。
次に始めたのは料理です。
将来結婚したいという思いもあり、手の込んだ料理を一日3回作るようになりました。
その後は掃除にも興味が向きました。
テレビで見た「運気を良くする掃除」に影響を受け、家中を掃除し、最後には壁まで磨くようになったそうです。
それまで一日のほとんどをベッドで過ごしていた生活から、大きく変わっていきました。
そして、少しずつ、
「働きたい」
という気持ちも生まれてきました。
いきなり長期間の仕事ではなく、まず挑戦したのは、一日だけの工場の仕事でした。
それを終えることができたことで、少し自信がつきました。
その後、はっちさんは大学事務の仕事に就くことになります。
はっちさんにとって大きかったのは、何かが「できた」ということだけではありませんでした。
気持ちが明るくなり、
「自分から何かをやってみたい」
と思えるようになったことだったといいます。
ただ、はっちさんはこう付け加えています。
「この治療をすれば、うつが良くなるという意味ではありません。これはあくまで私自身に起きたことで、たまたま私には治療が合ったのだと思います」
長い間改善を感じられない中でも、
「自分が頑張れないからだ」
と自分だけを責め続けるのではなく、別の医師に相談したり、治療についてもう一度考えたりする選択肢もある。
それが、はっちさんが自身の経験から感じていることです。
編集部より
本記事は、はっちさん個人の治療経験を紹介したものです。治療や薬の効果には個人差があり、同じ治療によって同様の結果が得られることを示すものではありません。
治療について不安や疑問がある場合は、自己判断で変更せず、主治医などの医療専門職へご相談ください。
一日のほとんどをベッドで過ごしていた生活から、少しずつ「やってみたい」という気持ちが戻り、仕事にも挑戦するようになったはっちさん。
しかし、その後の人生がそのまま順調に進んだわけではありませんでした。
後編では、仕事に戻る怖さ、結婚後に再び訪れた大きな困難、入院と再就職、そして現在の「働かない」という選択についてお伝えします。


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